今週のお題「20歳」


その頃、なにしてたかが思い出せない自分に驚きつつ
過去に書いてた日記な感じのものとか読んでみた。


過去っていったって、12、3年前ぐらいの話なんだが、あんまりにもなにも思い出せなくて驚いた。
ちょうど、社会人2年目とかそんな頃のはずで、仕事ってほどなにかをしてたわけでもないような?


ただ、夢も目標もなく、過ぎる時間を生きていたというか、あった時代の話。
無意識に、30には死ぬだろうと
自死ではなく、自分の意識が介在しない願望的な希望的観測であって、根拠もなにも存在していない意識。
不健康でもなく、病ってたわけではなく
ただ、漠然とそのぐらいの時には死んでればらくだな~なんて思ってた時期の延長上


達観とはちがうけれど、諦めにもにた感覚だったんだろうか?
今も思うとあんまりにもな時期だった。


高校卒業後に自分から動いて出会った人との交流とか付き合いが定着してきた頃。
人との関わりとか、一緒にいる楽しさとかを知り、理解していいるところ?


Webチャット全盛期で、毎晩テレホー駆使して、明け方までいろいろと話していた頃
片手間にPHSでメールしたり、電話してたり
中や問わずに遊ぶことに全力だった頃。
人として成長してみたい気持ちもあった頃だな・・・


懐かしいって感覚はないんだけど、後悔ばかりではないけれど
あのとき、こうしていたらなんか違う今があったんだろうなとは思う時期。


あの頃から根本的にはなにも変わってない部分ももちつつ
自分の中の変化と共に今日も一日すごすのみ。



作って、壊したいろいろなモノ
作らず、壊さずにすんだじゃないだろうかと思うあらゆる関係性も
やはりそれなりの数あるわけで
あの頃に今の感覚があれば、もっとうまく強かに振る舞うことができたんじゃないかな?
と後悔と、それらの出来事があたから今の自分があるなという想いと


結構簡単にはいいかない今の状況が、なんとも言えないことである。
いろいろな問題も、問題のあった/問題にしたものも


今となっては懐かしく、なくしたことに惜しくなり、
失って、喪ったものすべてに叶うわけもなく


二度と手に出来ない現状にジレンマを
すべて自分が悪いとしても、壊してしまった関係を今望むのも逃避の一貫なんだなと
わかりきった感覚をもって日々をすごすこともたまにある。


この先、何を求めているのか
明確にしていかないと立ち回れない時間がやって来るんだろうな。